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ダイハツ P-5のイラスト/フリー素材です。

ダイハツP-5(イエローのボディに赤のレーシングライン)のデフォルメタッチのイラスト

【ダイハツ P5】

年式・・・1967年
エンジン・・・水冷/直列4気筒/DOHC・1298cc(R92B型)
140ps/8000rpm
鋼管フレーム・ミッドシップ・FRPボディ
全長3850mm、全幅1550mm、車重510kg

概 要・・・P5は、今ではミラ、ムーヴ、タントといった軽自動車メーカーのイメージが定着しているダイハツ自動車が、1960年代中頃に急劇な盛り上がりを見せた四輪レースに参戦すべく、既存のコンパーノをベースにしたワークスレーシングカー「P1」をもってレースへの参戦し、その後レースによって発展した純レース車両です。
P1に続き「P2」「P3」といった更なるレース用車両を製造し、1967年にプロトタイプの「P5」を完成させました。
レース戦歴を遡りますと、ダイハツ初の乗用車で、機械式インジェクションを装備したコンパーノスパイダーのボディをロングノーズ化し、ハードトップを被せ、空力を意識したスタイルにカスタムしたものが「P1」で、1965年には7戦中2度の優勝を果たすといった好成績を残すと同時に、1965年の後半には、コンパーノベルリーナ(セダン)にファストバックのボディを被せた「P2」がレースに参戦しました。
続いて1966年には、更に空力をUPさせたボディに排気量1300cc、DOHC16バルブエンジンを搭載した「P3」がデビューし、トヨタ、プリンス、ジャガーといった大排気量のマシンを相手に第3回日本グランプリにて9台中7台が完走、ロータスやアバルトを抑えてクラス優勝を果たしました。そして、「富士ツーリストトロフィレース」では、スカイラインGTを抑えて優勝を飾りました。
このように順調にレース成績とライバル車の研究を重ね、1967年に鋼管フレーム、ミッドシップ、FRPボディの純レース車両「P5」を完成させ、第4回日本グランプリに2台のP5で挑みましたが、この時は両車ともにエンジントラブルにより予選落ちを喫する結果となりました。
しかし、1968年の第5回日本グランプリでは、総合10位、クラス優勝を、鈴鹿1000キロレースでは総合3位、1969年の鈴鹿300キロレースの小排気量部門にて、ホンダS800改(マクランサ)などのライバル車を抑えて優勝を獲得しました。
その後、弱小企業ゆえの経営問題、トヨタ自動車の傘下に収まったことを機に「軽自動車部門への専念」を理由としてワークス活動の一切を終了、華やかなサーキットでななく、軽自動車のダイハツという市場での立場を確立させ、現在に至っています。

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